タイ王国の歴史3

タイ王国の歴史3

こちらでタイの歴史探索は終わりにしたいと思います。前回は1939年に国号をシャムからタイに変更し、第二次世界大戦前のところまでを記事に致しました。

タイ王国の歴史3は、現代史が中心の記事になります。

ちなみに下のリンクは今までの記事になります。合わせて読んでいただけましたら幸いです。

タイ王国の歴史1

タイ王国の歴史2

それでは今回もよろしくお願いいたします。

第二次世界大戦とタイ

プレーク・ピブンソンクラームが実権を握ったタイは、二次大戦勃発後、当初は中立を宣言していました。

また、1940年に日本が仏領インドシナに進駐すると、日本軍に対して協力する姿勢を示し、仏領インドシナとの間で紛争を起こし、旧領回復のため、フランス軍と交戦しました。

結果、1941年5月8日に日本の仲介により東京条約を締結し、仏印のチャンパーサック県・バタンバン州・シェムリアップ州を自国領に併合することとなりました。

アジアに拠点を作りたかった日本軍がタイに接近し、日泰和親友好条約を締結します。

1942年、イギリス軍がバンコクに爆撃したことをきっかけに、ピブン政権も米英に宣戦布告。タイは枢軸国となり参戦することになりました。

ピブン政権は日本よりの姿勢を強め、日本のビルマ侵攻に協力するかわりに、ビルマの一部とマレー半島の一部をタイ領に編入するという共同声明を発表します。

自由タイ運動

後に首相になるセーニー・プラーモートがアメリカ留学仲間と始めた抗日運動。ピブン内閣の閣僚であった、プリーディーなども参加していました。

日本の敗戦が色濃くなっていく中、プリーディーが「自由タイ」を指揮するなど急速に連合国との関係を強めていくこととなります。

日本の敗戦後、連合国との親密な関係を保っていた、プリーディーが「タイの宣戦布告は無効である」という姿勢をとります。

また、イギリスはタイを敗戦国として扱おうとしましたが、アメリカを中心として、タイの宣戦布告を不問とし、その戦争責任は問われないことになりました。

しかし、ピブンら対日協力者は戦犯として拘束されることとなります。

この1946年には、タイ国民に非常に人気のある君主、プーミポン・アドゥンラヤデート(ラーマ9世)が即位し、タイ王国で最も長く王位に就くこととなりました。

軍政期のタイ

戦後、1947年にはタイ・クーデターによって、自由タイのプリーディーが亡命。民主党の首相が擁立されます。

しかし、翌年にはピブンの返り咲きと呼ばれる軍部の圧力により辞任を余儀なくされ、ピブンによる軍政(1948年 – 1957年)が開始されることとなります。

1973年に一時、民主化することになりましたが、その後またしても軍政期に入ることとなります。

この時代に、黄金の三角地帯での麻薬栽培を禁止させ、インフラ整備や高い経済成長を実現することとなります。

特に米ソ冷戦期にはビルマ、ベトナム、カンボジアおよびラオスのような近隣諸国の共産革命に脅かされます。

しかし、タイは共産主義の防波堤として米国の支援を受け、東南アジア条約機構(SEATO)の一翼を担うこととなります。

ベトナム戦争では米国側に立ち、ラオスおよびベトナムへの派兵を行います。また、タイは米軍の補給・休養のための後方基地でもあったため、バンコクをはじめとしてタイは経済的に発展し、パタヤなどのリゾート開発も進みました。

日本における朝鮮特需のようなものですね。また、タイは東南アジア諸国連合(ASEAN)の積極的な参加国でもあります。

タイの現代史

体裁的にはラーマ9世期のタイは立憲君主制を維持していました。しかし、実際は軍政の影響を色濃く反映しました。

隣国カンボジアのポル・ポト政権のクメール・ルージュとベトナムとの戦争(カンボジア、ベトナム戦争)や中国人民解放軍とベトナム軍(中越戦争)が起こります。

タイも隣国ラオスとの間で領土紛争が起こりますが、長きに渡った紛争も、1988年に両国代表団による和平交渉が実施され、停戦協定が結ばれることになりました。

この時代、ラオスとの国境紛争を除けば、比較的平穏で経済成長への道筋をつけ、高度に発展していくことになりました。

暗黒の5月事件

1992年にスチンダーが首相に就任すると、民主化を望んでいた国民は反発し、バンコクを中心に抗議デモを行いました(暗黒の5月事件)。

結果、スチンダーは首相を辞任し、アナンが首相に復帰し文民政権の樹立します。

これによって、1992年の民主選挙以来のタイは、政府が憲法上の手続きを踏んで機能する民主主義国家となりました。

2001年に、タイ愛国党を率いる実業家タクシンが大統領選挙に当選し、タクシン政権が成立します。

しかし、タクシン首相の不正蓄財疑惑が発端となり、2006年にまたしてもタイ軍事クーデターが起こり、2008年まで軍政が敷かれることになりました。

また、タクシン首相の妹であり、タイ初の女性首相であるインラック・チナワットは美しすぎる首相として有名です。しかし、彼女も憲法違反と認定され失職することなります。

以降、このようにクーデターやデモ、暴動が相次ぎ、今日までも政治混乱が続くことになります。

終わりに

かなり足早ですが、タイの歴史について記事にしてみました。なかなか勉強になったのではないでしょうか。

次回をタイを訪れた時は、少しだけタイの歴史を意識しながら過ごしてみようと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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