2017年【タイ】政治的混乱が再燃!? プミポン前国王・葬儀のあと

10月末日、プミポン前国王のご葬儀が国葬にて執り行われました。タイ全土が悲しみ包まれた日となりました。

そして、国王のご葬儀のあと、同時にこんな話がささやかれています。それはタイの政治的混乱が再燃するのでは?と懸念されているのです。

2017年【タイ】政治的混乱が再燃!?

2006年の軍事クーデター

2006年9月19日、当時のタクシン政権に対し、タイ王国軍の反タクシン派将校が下士官・兵士を率いて、軍事クーデターが勃発します。

陸軍総司令官のソンティ・ブーンヤラッガリンが指揮、10数台の戦車部隊を率いて、バンコクの中心部一帯と政治・行政の中枢部を包囲。約50名の兵士が政府庁舎内を占拠しました。

これに対し、ニューヨークの国連総会に出席中のタクシン首相は、ルアンロー国軍最高司令官に対しクーデターへの対処を指示します。

しかし、ルアンロー国軍最高司令官もクーデターに加わり、警察もこれに参加したことにより、無血クーデターは成功することとなりました。

翌20日にはソンティ司令官は、国軍を統帥している国王に忠誠を誓うと共に、憲法を停止、戒厳令を全国に布告します。これによって事実上、軍事政権が全権を掌握することとなりました。

現在に至るまでのさらなる混乱はここから始まることとなります。

タクシン派・反タクシン派の対立

このクーデターの元凶は、タクシン派と反タクシン派の対立にありました。2006年8月には陸軍幹部による、首相暗殺未遂事件も勃発します。

クーデターによる国家改造を否定し政財界に接近するタクシン派と、国王中心の国体史上主義を信奉する反タクシン派の対立が明確化することとなります。

もともと、タイでは支持基盤であった地方の低所得者に対して、富の再分配、経済格差の是正に積極的に取り組んでいたタクシン首相に対し、都市部の特権階級の不満が高まっていました。

一方肝心のタクシン首相には就任当初から多数の汚職の疑いがありました。そんな中、2006年の1月にタクシン首相の親族による株式インサイダー取引が発覚します。

これによって、一挙に反タクシン派の不満が爆発、タクシン首相は一時は退陣を表明も、この後公務に復帰したことがクーデターの引き金を引くこととなりました。

ちなみにタクシン派は赤いシャツ、反タクシン派は黄色いシャツをを互いのシンボルカラーとし、対立を深めることとなりました。

暗黒の土曜日事件

 政治的混乱

2010年4月10日(土曜日)、タイ王国の首都バンコクで、10万人にも及ぶタクシン派のデモ隊市民とアピシット首相の承認と指示のもと、タイ王国軍の武力衝突が起きます。

この事件は、事件前夜タクシン派のソムチャイ政権と与党国民の力党が憲法裁判所によって解体されるという司法クーデターが発生したことがきっかけでした。

タクシン派の反独裁民主統一戦線(UDD)は、司法クーデターにより総選挙を経ずに発足した反タクシン派のアピシット政権に反対します。

そして、タクシン派は早期の下院解散・総選挙を求める大規模な集会を実施、その後市民も参加し、デモ隊はバンコク中心部のルンピニ公園などを占拠して、アピシット首相への抗議活動を展開していました。

アピシット首相は、バンコクに非常事態宣言を発令し、4万7000人以上の国軍兵士を投入する実力行使に転換しました。デモ隊の鎮圧するために国軍は、各地点でデモ隊に実弾を発砲します。

これによって2000人以上の死傷者を生む悲劇となりました。また、この事件はデモを取材していたロイター通信の日本人カメラマン、村本博之さんが国軍に銃で撃たれ死亡するという悲惨な事件でもありました。

インラック・シナワトラ

暗黒の土曜日事件により、アピシット首相は国民の信頼を失い、解散、総選挙を行います。その結果、反タクシン派の与党民主党が大敗し、タクシン派のタイ貢献党が安定多数を獲得することとなりました。

これにより、アピシット政権は総辞職して崩壊し、インラック政権が発足しました。タイ初の女性首相として積極的に内政に携わり、国民融和や貧困対策を推進し、国家の安定に貢献します。

経済の好調もあり、高い支持率を維持します。1児の母で、子育てをしながら公務をこなす彼女は人気は高く、もともと多くの女性が活躍するタイに安定をもたらすかと期待も高まりました。

しかし、国家安全保障会議事務局長の人事問題に 不当介入したとされ、首相を解任されてしまいます。

また、この後の軍事クーデターにより、インラック首相の在任中に「米の買い上げ制度に関して、国に多額の損失を与えた」と職務怠慢容疑にて弾劾されることとなります。

この弾劾の結果、インラック元首相に対し、2017年9月27日、最高裁は禁固5年の実刑判決を下します。しかし、現在インラック氏は英国に渡り、英国に亡命を求めていると言われております。

この判決が、民政復帰を進める軍主導の暫定政権に対し、都市部と農村部の格差の問題など重い課題を突きつける形となりました。

同時に、タクシン派のさらなる反発を生み、再び暴動・混乱が起こるのではと言われています。

プミポン前国王・葬儀のあと

プミポン国王は、とても国民に愛された偉大な国王でした。タイ人の多くが国王の死を自分の父親の死のように思っています。

在位70年と、世界最長の在位を誇った前国王は政治的にも非常に影響力を持っていました。 幾多のクーデターを起こしてきた軍も国王の意向を無視して政治に介入することはできません。

その偉大な影響力がなくなることによって、軍や市民への統制に陰りが出るのではとも言われているのです。

また、次期国王になる予定のマハ・ワチロンコン皇太子もまだ若く、これからが期待されるだけに、一時的に混乱を生じるのではと不安の声も聞こえてきます。

それに輪をかけて、先日のインラック前首相の実刑判決が、タクシン派のさらなる反発を助長しました。

まとめ

先月、タイのプラユット暫定首相は、バンコクで記者団に対し、総選挙を2018年11月に実施することを明らかにしました。これによって、軍政長期化の後で民政に復帰する見通しとなります。

同時に首相は「これにより状況がより鮮明になる。各政党と政治家は引き続き平静を保つべきだ」と語りました。

タイ暫定首相:総選挙を来年11月に実施

しかし、この選挙の結果によって、再びタクシン派、反タクシン派の対立が鮮明化するとも言えます。再び衝突が起きないことを祈ります。そして、これからもこの問題に関して注視していく必要があります。

本当の意味で、平和的な解決が訪れることを祈って。また情報がありましたら、アップデートしていきます。

人気関連記事紹介

タイ王国の歴史1

タイ王国の歴史2

タイ王国の歴史3

こちらの記事も合わせてご一読ください。よろしくお願いいたします。