タイの歴史 を知ることは、現在のタイ王国がどのように建国され、文明や文化を形成してきたのかを理解する上でも大きな意味があります。
また、タイと仏教の関係についても注目すべきでしょう。ということで、今回は、タイ王国の創世記と建国の歴史について、記事にしたいと思います。
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タイ王国の建国の歴史とは!?
現在のタイにタイ族の国家が建国されたのは13世紀頃です。それまでのタイは、モン人によるドヴァーラヴァティー王国に端を発しました。
その後、マレー人によるシュリーヴィジャヤ王国、クメール人によるクメール王朝など、いくつかの王朝が形成されます。
ドヴァーラヴァティー王国は、仏教を信仰する高度な文明を築き、シュリーヴィジャヤ王国は、スマトラ島からマレー半島に至る地域で海上交易を行う大乗仏教を信仰する国でした。
また、クメールはカンボジアのアンコールを首都として、タイ東北部を中心にタイ全土を支配する大国として成立します。
そして、11世紀頃に中国東南部より南下し、長い期間をかけてタイ各地に都市国家を形成していたタイ族が都市国家を統一しました。これがスコータイ王朝です。
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スコータイ王朝の建国!!
スコータイ王朝(タイ語:ราชอาณาจักรสุโขทัย 1240年頃 – 1438年)は、13世紀にタイに存在した王朝で、タイ族最初の王朝と言われています。
クメール王朝の衰退とともに勢力を拡大、始祖イントラチット王三男で3代目となるラームカムヘーン王(タイ国の三大王)の時代に、飛躍的に国力を伸ばしました。
最盛期には現在のラオスからシンガポール周辺にまで広がったと言われ、タイ文字を発展、大乗仏教から上座部仏教を国教にします。
自由貿易を押し進め、中国との貿易を行っていたようです。また、タイ北部では、チェンマイ(ラーンナタイ)やパヤオといったタイ族国家も形成されます。
しかし、スコータイ王朝は、王の死去をきっかけに急速に力を失い、後に成立するアユタヤ王朝に吸収される形で消滅してしまいました。
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スコータイ王朝の思想と文化!!
スコータイ王朝は、仏教思想が花開いたタイ仏教の黄金期です。仏教を大きく普及させたリタイは、自らも出家し、仏教を研究しました。
「三界経」に代表される彼の仏教研究は、「悪いことをすると地獄に堕ちる」という因果応報の観念(タム・チュワ=ダイ・チュワ、タム・ディ=ダイ・ディー)を説いたものです。
地獄の様子を過剰に体系化して描き、庶民にも生々しくかつ分かりやすい形で仏教を説明し、その伝播を助けました。
そして、アンコール・ワットに代表されるクメール建築に、スリランカ様式を加えたスコータイ、シーサッチャナーライ、カムペーンペットなど、タイ独特の建築を確立させます。
仏教美術においても数多くのスコータイ仏と呼ばれる仏像が作られ、現在でも大乗仏教の寺院以外には必ず配置され、長きに渡り安置されるようになりました。
また、この王朝の最大の特徴としては、クメール文字に独自に手を加えたスコータイ文字が作られたことではないかと思います。
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アユタヤ王朝の始まり!!
スコータイ王朝の衰退と共に、タイ中部の都市アユタヤを中心に展開したタイ族のアユタヤ王朝(1351年 – 1767年)が成立します。
1351年にラーマーティボーディー1世(ウートーン王)は、首都をアユタヤに移し、その後、約400年に渡り、34人の王が統治する一大王朝を作り上げました。
この王朝の歴史は、周辺国との激しい戦いの連続で、東のクメール、北のチェンマイ、16世紀中頃には、長い間交戦状態だったビルマの属国にもなります。
しかし、17世紀初頭、ナレースワン大王の出現によって、失地回復を果たし、中央集権制度を確立しますが、再び侵攻してきたビルマに14ヶ月間包囲され、徹底的に破壊されました。
ついに1767年、首都アユタヤが陥落、王朝も滅亡します。この滅亡後、アユタヤの将軍だったプラヤー・タークシンが王となり、バンコクの対岸に王朝を建国したのがトンブリー王朝です。
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アユタヤ王朝と山田長政の活躍!!
1767年に滅亡するアユタヤ王朝ですが、この王朝は、国際商業都市として、大いに繁栄したことでも知られています。
中国やインド、西欧との交易、日本とも朱印船貿易によって、鹿皮、鯨皮などを輸入していました。また、日本人の山田長政が活躍したのもこの時代です。
タイに移住した日本人の中でも、アユタヤで王朝を守護する日本人傭兵団のリーダーとして暗躍したことで有名でしょう。
また、16世紀〜17世紀にかけて、徳川幕府の統一により失業していた日本人の傭兵が海外に働き口を探し移住、東南アジア各地に日本人町を形成していたのがこの時代です。
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さいごに
タイは、東南アジアの国々で唯一、欧米の植民地にならなかった国です。この歴史から学ぶことはきっと大きいでしょう。
今回はタイの建国の歴史からアユタヤ王朝の滅亡までを振り返りました。それでは、次回はトンブリー王朝以降の歴史について、調べてみようと思います。
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