第二次世界大戦 は、世界中が激動の時代へと突入していくきっかけとなりましたが、やはりタイにおいても大きな転換期と言えるでしょう。
そして、この戦争で戦争責任を問われなかったことがその後の歴史を大きく変えました。ということで、今回は、第二次世界大戦と現代史について、記事にしたいと思います。
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この記事の目次
第二次世界大戦 激動のタイ近代史!!
第二次世界大戦の勃発時、プレーク・ピブンソンクラームが実権を握っていたタイは、当初中立を宣言していました。
しかし、1940年に日本が仏領インドシナに進駐すると、日本軍に対して協力する姿勢を示し、仏領インドシナとの間で紛争、旧領回復のためフランス軍と交戦します。
結果、1941年5月8日に日本の仲介により東京条約を締結、仏印のチャンパーサック県、バタンバン県、シェムリアップ県を自国領に併合しました。
また、アジアに拠点を作りたかった日本軍と日泰和親友好条約を締結、1942年にはイギリス軍のバンコク爆撃をきっかけに英米に宣戦布告、枢軸国として参戦します。
加えて、ピブン政権は、日本よりの姿勢を強め、日本のビルマ侵攻に協力するかわりに、ビルマの一部とマレー半島の一部をタイ領に編入するという共同声明を発表しました。
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自由タイ運動
後に首相になるセーニー・プラーモートがアメリカ留学仲間と始めた抗日運動。ピブン内閣の閣僚であった、プリーディーなども参加していました。
日本の敗戦が色濃くなっていく中、プリーディーが「自由タイ」を指揮するなど急速に連合国との関係を強めていくことになります。
日本の敗戦と戦後のタイ!!
日本の敗戦が決まると、連合国と親密な関係を保っていたプリーディーは「タイの宣戦布告は無効だ」という姿勢をとります。
イギリスのようにタイを敗戦国として扱おうとした国もありましたが、アメリカが中心となってタイの宣戦布告は不問とされました。
そして、ピブンらの対日協力者が戦犯として拘束されるも、結果的には戦争責任は問われないことになります。
また、この戦後1946年に、タイ国民に愛された国王プミポン・アドゥンラヤデート(ラーマ9世)が即位、タイ王国史上、最も長く王位に就くことになるのです。
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軍政期のタイの歴史!!
1947年に起こったタイ・クーデターにより、自由タイのプリーディーが亡命、民主党の首相が擁立されます。
しかし、翌年にはピブンの返り咲きと呼ばれる軍部の圧力により辞任を余儀なくされ、ピブンによる軍政(1948年 – 1957年)が開始されました。
その後、1973年に一時民主化するも、またしても軍政期に入ります。また、同時期に黄金の三角地帯での麻薬栽培を禁止、インフラ整備や高い経済成長を実現しました。
米ソ冷戦期には、ビルマやベトナム、カンボジア、ラオスのような近隣諸国の共産革命に脅かされつつも、共産主義の防波堤として米国の支援を受けます。
そして、東南アジア条約機構(SEATO)の一翼を担うことになり、ベトナム戦争では米国側に立ち派兵、この戦争がタイの発展に大きな影響をもたらす結果となりました。
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タイの発展に大きな影響を与えたベトナム戦争!!
ベトナム戦争では、タイもラオス及びベトナムへの派兵を行いましたが、この戦争がタイにもたらした影響は大きかったと言えます。
米軍の補給や休養のための後方基地としての役割を担ったことで、バンコクをはじめとして経済的にも大きく発展、パタヤなどではリゾート開発も進みました。
日本における朝鮮特需のようなものでしょう。そして、現在でもタイはASEAN(東南アジア諸国連合)の積極的な参加国としても重役を担っています。
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高度経済成長とタイの現代史!!
ラーマ9世期のタイは、体裁的には立憲君主制を維持していましたが、実際には軍政の影響を色濃く反映した時代です。
隣国カンボジアで、ポル・ポト政権のクメール・ルージュとベトナムとの戦争(カンボジア、ベトナム戦争)や中国人民解放軍とベトナム軍による中越戦争が起こります。
タイも隣国ラオスとの間で領土紛争が勃発しました。しかし、長きに渡った紛争も1988年に両国代表団による和平交渉が実施され、停戦協定が結ばれます。
よって、ラオスとの国境紛争を除けば、比較的平穏で経済成長への道筋をつけ、高度に発展していく時代なりました。
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暗黒の5月事件
1992年にスチンダーが首相に就任すると、民主化を望んでいた国民は反発し、バンコクを中心に抗議デモを行いました(暗黒の5月事件)。
結果、スチンダーは首相を辞任、アナンが首相に復帰し文民政権の樹立します。1992年の民主選挙以来のタイは、政府が憲法上の手続きを踏んで機能する民主主義国家となりました。
タクシン政権の誕生と民主化!!
2001年には、タイ愛国党を率いる実業家タクシンが大統領選挙に当選、タクシン政権が成立します。これによってタイも民主化したと思われました。
しかし、タクシン首相の不正蓄財疑惑が発端となり、2006年またしても軍事クーデターが起こり、2008年まで軍政が敷かれることになります。
その後、タクシン首相の妹で美しすぎる首相としても有名なインラック・チナワットがタイ初の女性首相に就任しましたが、彼女も憲法違反と認定され失職しました。
このようにクーデターやデモ、暴動が相次ぎ、今日までも政治的混乱が続き、実質的には民主化していない状態となっています。
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さいごに
第二次世界対戦と戦後、植民地化を免れた戦前の歴史は、ある意味でもタイの生き抜く力を証明したと言えるでしょう。
やはり東南アジアで唯一独立を維持した国、タイ人の明るい気質や小さいことは気にしない精神にも学ぶことが大きいと再確認しました。
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